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私達の本当の敵は何処にいるのだろうか?

日本人が知らない明治維新

明治維新は今の日本の礎を創ったという美談として日本の歴史の幕開けみたいな内容が目立ちますが、実は全く違っていて、ロスチャイルドと田布施の者たちが目論んだ、クーデターの可能性があったのです。すでに多くの方がブログで記事を書かれていますので隠された日本の歴史を知る意味で、ご存じでない方は一度ご覧になられることをおすすめします。


この隠された明治維新の核心部分になりますが、鬼塚英昭氏が語っている孝明天皇暗殺と明治天皇のすり替え説について、私は大方合っているのではないかと思っていますけど、疑問に感じていることもありますので、その点について触れてみたいと思います。


まず明治天皇が大室寅之助という人物にすり替えられたという話で、出回っている大室寅之助の写真を見ると確かに明治天皇の若いころの顔に似ていますが、私としては顔の目元に違和感を感じますので、この写真の人物ではないと思います。中央下の人物が大室寅之助と言われています。


(この写真も人物と名前が一致しているかは不明ですが)




拡大した写真です。大室寅之助(左)とすり替わったとされる明治天皇(右)です。




こちらは明治天皇14歳くらいの写真です。確かに子供のころの顔と右上の明治天皇の顔が違いすぎますね。





明治天皇の父、孝明天皇の肖像画です。
すり替わったとされる明治天皇には似てないです。口元を見るとわかります。
むしろ14歳のころの明治天皇(上の写真)に似てると思います。当たり前ですが。


明治11年(1878年)に描かれた肖像画、(孝明天皇は1867年に崩御)
『御物 孝明天皇御肖像』 : 時代の流れに葬られた天才洋画家、五姓田義松とその驚くべき絵画 - NAVER まとめ



こちらも孝明天皇の肖像画ですが、いつ描かれたかは不明です。
最も実の親子でも似ていない人もいますので、似てるとか似ていないとかだけでは、何とも言えませんが、問題なのは次の肖像画の変化です。(この肖像画が孝明天皇の本来の姿ではないでしょうか?)


孝明天皇の肖像画は幾つかインターネットで見つけることができますが、その中でも孝明天皇の死後30年も経ってから描かれたものがあります。それは明治天皇にあえて似せて描かれていると思います。(下の画像)


上の肖像画(写真?)に手が加えられたかもしれませんが、おそらく口元だけを変えたのではないでしょうか?着ている服のしわの感じ・腰かけている椅子がそっくりです。下の肖像画は 東京国立博物館 画像検索で見ることができます。
C0066838 孝明天皇宸影 - 東京国立博物館 画像検索




これらも孝明天皇の肖像画です。口元を変えていますね(左側)



ロスチャイルドと田布施の者たちの目論んだクーデターによって乗っ取られたという説は、大まかな内容としては、ほぼ間違いないでしょう、私もあり得ると思っています。
そして、彼らの計画通り、このクーデター以降の日本は大変なことになってしまいました。つまり闇の支配者たちによって仕組まれた世界規模の戦争へと向かって行ったわけです。向かったというよりも彼らに利用されていたのですが。




そして「本物黒酒」さんのツイッターで知ったことが驚きなんです。


【なんで、こんなことになったんだ?明治天皇と、英国留学生の箕作奎吾とそっくりじゃんか!】のツイッターをみると新事実があります。プロの人物画家「本物黒酒」さんが説明しています。⇩⇩⇩⇩



つまり英国留学生の箕作奎吾(みつくりけいご)という人物の年代が明治天皇と一致し、写真の人物がかなり似ているのです。そっくりです。


明治天皇が1868年に即位した3年後の1871年に大嘗祭があったんですが、ちょうど同じ1871年に箕作奎吾は隅田川で心臓発作で溺死したそうです。箕作奎吾は本当にこの時に死んだのでしょうか?


(箕作奎吾の写真(左)写真の傷によって右目の瞳が消えています。)



太田龍さんの「闇の世界史」を読むと闇の支配者は時のエリート(特に優秀な学生や教授)を仲間に入れる。そして彼らの傀儡として選ばれたエリートを国の権力者にする、そして国家ごと乗っ取る、みたいなことが書いてありましたけど、それを考えると長州藩の騎兵隊だった人物(大室寅之助)を天皇の代わりに送り込むなんて考えられないのではと思います。他にも一説ではもともと大室寅之助は天皇家の血筋であるので、すり替えではなく元に戻っただけだと主張するグループもありますが、この説はかなり無理があるかな?と思います。(南北朝の話です。)


事実、箕作奎吾は優秀であったと思います。幕臣の子弟よりイギリス留学希望者を募り(受験者は80名ほどいた)開成所で行った試験の結果、箕作奎吾を含む12名が合格しました。ケンブリッジ大学で武器製造方法や軍政学を学んだといいます。
この当時はフリーメイソン・イルミナティーなどの秘密結社がヨーロッパで流行っていたので彼は留学中に、こういう組織と関係があったことは十分考えられると思います。そしてばっちり教育を受け、ロスチャイルド(闇の支配者)の目に留まったのでしょう、そして帰国しました。


そもそもイギリス留学が仕組まれていたのでしょうね、送る側は国家近代化の為にと純粋に考えていたかもしれませんが、待ち構えていたロスチャイルドは始めからフリーメイソン・イルミナティーの教育を受けさせることを計画していたのかもしれません。


Wikipediaにイギリスの留学生だった箕作奎吾が記されています。



常識的に考えて国家権力者をすり替えるなんてことは不可能だと思います。しかしロスチャイルドの金の力と人脈があれば話は別です。当時の主要人物達がすでに賄賂などで買収されていたとは考えられないでしょうか?京都から江戸に移動したのも本当は、すり替えられたことを隠すためだったのかもしれません。


幕末当時、孝明天皇は開国に大反対だったといわれています。異国は、始めは通商を行いその後は軍事侵略をしてしまう、ということをご存じだったようです。朝廷の中では開国に反対する者だけではなく、反対しない者も当然いましたので協力者が表れてもおかしくはありませんね。当時の徳川幕府も開国に向けて日米修好通商条約へ調印をしてしまったのです。それを知った孝明天皇は激怒したそうです。異国のグローバリストからすれば孝明天皇の存在は邪魔であったに違いありません。もしかしたら明治維新も実は茶番であって徳川幕府も裏で繋がっていたのかもしれません。




皆様の検証を願います。





参考記事


大摩邇(おおまに) : 671.箕作阮甫→長岡半太郎→仁科芳雄→広島・長崎の自作自演の原爆起爆→対米従属→福一事故による人類大被曝→癌患者の爆発的増大→ガン完治ワクチンの世界マーケット成立!


タマちゃんの暇つぶし ★明治天皇は大室寅之助ではなく「箕作奎吾」だった!?